デビュー(昭和51年8月25日『留々蘭の町から』)のときに作ってもらった白いプリーツスカートとブラウスが、値段が高く、そんなに気に入らなかった事から、「これなら自分で出来る!」と思ったのが、そもそもの発端。秋田県立米内沢高校家政科で、和裁から洋裁、手芸まで徹底的に学んだので、それはごく自然な動機だったのです。
以来、自分のステージ衣裳は、全て手作りのソーイング・シンガー(命名は演ジャル・森島)林
るり子となり、これまでに400着ものドレスを作ってきました。1曲につき、最低6着は作り、多い時は10着以上作る時も有ります。
ブルー系が多いのは、昭和62年頃、ブルー系の洋服を着ていると、キャンペーンでのテープ売り上げなどが格段いい事を発見したのです。それからは紺色がラッキーカラーだと思っています。 |